私の仕事探し
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.6
「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」は朝日新聞グループの株式会社朝日エージェンシーが主催だ。今春の日曜日、大手町のあるホールで開かれたこのフェアに訪れた、一過性の妄想性精神障がいがあるCさん。これまで、これからの働き方を彼女が話してくれた。 服薬で消える一過性の妄想性障がい。転勤や長時間労働は難しいが、秘書や事務の仕事で能力を生かしたい(30代女性、一過性の妄想性精神障がい) 「いい会社に巡り会えたと、辞めた今でも思っています」。そう話すCさん(30代女性、精神障がい)は、新卒で飲料メーカーに入社し本社に配属された。 「就職活動をしている時に、その会社のホームページで求人を見つけました。応募したところ、トントン拍子で話が進んでいったので、このような障がいに理解のある会社なら長く働けると思いました」 Cさんは一般職の事務職で採用され、全国に設置されている自動販売機のリース管理や請求書の発行などを任された。社内の雰囲気は良く、一過性の妄想性精神障がいのあるCさんには、働きやすい職場だった。 妄想性障害には、誤った強い思いこみ(妄想)が長く続くという特徴があり、Cさんによれば、「統合失調症に似た症状です。私の場合、発症すると強い思い込みに悩まされるのですが、薬を飲むとすぐに消えるので、一過性と診断されました」。そのため、職場で困ることはあまりなかったし、仕事の遂行能力も高く評価されていて、このまま働き続けることができると喜んでいた矢先、転勤を命じられた。 「私は一般職に応募したつもりでしたが、会社は総合職で採用していたのです。私が面接時にちゃんと確認していればよかったのですが……」 とはいうものの、会社の方からも総合職での採用という話はなかったという。お互いに「相手は分かっているだろう」という思い込みがあり、齟齬(そご)が生じたようだ。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.6
「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」は朝日新聞グループの株式会社朝日エージェンシーが主催だ。今春の日曜日、大手町のあるホールで開かれたこのフェアに訪れた、一過性の妄想性精神障がいがあるCさん。これまで、これからの働き方を彼女が話してくれた。 服薬で消える一過性の妄想性障がい。転勤や長時間労働は難しいが、秘書や事務の仕事で能力を生かしたい(30代女性、一過性の妄想性精神障がい) 「いい会社に巡り会えたと、辞めた今でも思っています」。そう話すCさん(30代女性、精神障がい)は、新卒で飲料メーカーに入社し本社に配属された。 「就職活動をしている時に、その会社のホームページで求人を見つけました。応募したところ、トントン拍子で話が進んでいったので、このような障がいに理解のある会社なら長く働けると思いました」 Cさんは一般職の事務職で採用され、全国に設置されている自動販売機のリース管理や請求書の発行などを任された。社内の雰囲気は良く、一過性の妄想性精神障がいのあるCさんには、働きやすい職場だった。 妄想性障害には、誤った強い思いこみ(妄想)が長く続くという特徴があり、Cさんによれば、「統合失調症に似た症状です。私の場合、発症すると強い思い込みに悩まされるのですが、薬を飲むとすぐに消えるので、一過性と診断されました」。そのため、職場で困ることはあまりなかったし、仕事の遂行能力も高く評価されていて、このまま働き続けることができると喜んでいた矢先、転勤を命じられた。 「私は一般職に応募したつもりでしたが、会社は総合職で採用していたのです。私が面接時にちゃんと確認していればよかったのですが……」 とはいうものの、会社の方からも総合職での採用という話はなかったという。お互いに「相手は分かっているだろう」という思い込みがあり、齟齬(そご)が生じたようだ。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.5
朝日新聞グループの株式会社朝日エージェンシーが主催する「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」。今春の日曜日、大手町のあるホールで開かれたこのフェアに訪れたAさん。脳出血を発症し15年治療とリハビリを続け、いよいよ再就職にチャレンジする彼に話を聞いた。 脳出血で右半身に麻痺が残る。15年の治療とリハビリを経て社会復帰を目指し就職活動を開始(60代男性、身体障がい) Aさん(60代男性、身体障がい)は、15年ほど前に脳出血を発症し、それから治療とリハビリを続けてきた。 「ここにきて、ようやく動けるようになったので、仕事を再開したいと思い、就職活動を始めました」という。右半身に麻痺があり、日常生活では車いすが手放せないが、再就職にチャレンジできるまでに回復した。 Aさんは、1984年から2007年までの23年間、新聞販売店で働いていた。新聞の配達から事務までこなすベテランだった。 本来であれば、その経験を生かせる職種で仕事に復帰できればいいが、移動に車いすが欠かせない現状では難しい。そこで業務上で移動の必要がない事務系の仕事を探している。 仕事を再開するに当たっては、就労移行支援事業所にも通った。 就労移行支援事業所は、障がい者が一般企業などに就職するために必要な「職業訓練」や「就活支援」、「定着支援」などを行っている。 Aさん自身も働く意欲は十分にあるが、仕事をすること自体、約15年のブランクがある。「どの程度の業務ができるのか」、不安があった。 就労移行支援事業所で「職業訓練」を受けることで「自分がどんな風に働いていけるか」をイメージできる。 その後は、実際の求人に応募するための「就活支援」を受ける。また、就職した後も職場に定着できるようサポートをしてくれる。 Aさんも事務系の仕事に就くために必要な基本的な知識やスキルを身に付けて、ある程度の業務をこなせる自信がついたという。 「あとは、実際に働いてみないと分からない面も多いですから、仕事をしながら覚えていこうと思っています」 情報収集にも役立ったという。車いすでの移動に関するさまざまな情報が蓄積されていたので、今後の行動をイメージするのに大いに参考になったという。 就職するための準備は整ったのだが、実際に就活をしてみると、簡単ではなかった。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.5
朝日新聞グループの株式会社朝日エージェンシーが主催する「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」。今春の日曜日、大手町のあるホールで開かれたこのフェアに訪れたAさん。脳出血を発症し15年治療とリハビリを続け、いよいよ再就職にチャレンジする彼に話を聞いた。 脳出血で右半身に麻痺が残る。15年の治療とリハビリを経て社会復帰を目指し就職活動を開始(60代男性、身体障がい) Aさん(60代男性、身体障がい)は、15年ほど前に脳出血を発症し、それから治療とリハビリを続けてきた。 「ここにきて、ようやく動けるようになったので、仕事を再開したいと思い、就職活動を始めました」という。右半身に麻痺があり、日常生活では車いすが手放せないが、再就職にチャレンジできるまでに回復した。 Aさんは、1984年から2007年までの23年間、新聞販売店で働いていた。新聞の配達から事務までこなすベテランだった。 本来であれば、その経験を生かせる職種で仕事に復帰できればいいが、移動に車いすが欠かせない現状では難しい。そこで業務上で移動の必要がない事務系の仕事を探している。 仕事を再開するに当たっては、就労移行支援事業所にも通った。 就労移行支援事業所は、障がい者が一般企業などに就職するために必要な「職業訓練」や「就活支援」、「定着支援」などを行っている。 Aさん自身も働く意欲は十分にあるが、仕事をすること自体、約15年のブランクがある。「どの程度の業務ができるのか」、不安があった。 就労移行支援事業所で「職業訓練」を受けることで「自分がどんな風に働いていけるか」をイメージできる。 その後は、実際の求人に応募するための「就活支援」を受ける。また、就職した後も職場に定着できるようサポートをしてくれる。 Aさんも事務系の仕事に就くために必要な基本的な知識やスキルを身に付けて、ある程度の業務をこなせる自信がついたという。 「あとは、実際に働いてみないと分からない面も多いですから、仕事をしながら覚えていこうと思っています」 情報収集にも役立ったという。車いすでの移動に関するさまざまな情報が蓄積されていたので、今後の行動をイメージするのに大いに参考になったという。 就職するための準備は整ったのだが、実際に就活をしてみると、簡単ではなかった。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.4
今春の日曜日、大手町のあるホールで開かれた「障がい者のための就職・転職フェアSMILE」の会場に、緊張した面持ちで足を運んだKさん(20代女性、情緒不安定パーソナリティ障がい)。自身にとって三つ目となる職場を探しにきた彼女に話を聞いた 精神障がい全般、そして「情緒不安定性パーソナリティ障がい」のことを正しく理解してもらいたい(20代女性、情緒不安定パーソナリティ障がい) 障がい者のための就職・転職フェア「SMILE」の会場に緊張した面持ちで足を運んだKさん(20代女性、情緒不安定パーソナリティ障がい)は、自分にとって三つ目となる職場を探していた。 「最初に選んだのは、スーパーマーケットでレジ打ちなどを行うアルバイトの仕事でした。自宅から徒歩2分程度で近かったので、まずは働くことを経験しておこうと思ったからです。そして、次は学童クラブで子どもたちと触れ合う仕事に就いたのですが、体調を崩して入院してしまい、最終的に辞めることになりました」 体調不良の一因は、当時の交際相手との関係がギクシャクしてしまったことだという。これまでKさんは、「情緒不安定性パーソナリティ障がい」に苦しめられてきた。 つねに不安を抱えがちで、他人のささいな言動にも心が大きく揺れ動かされやすいのが主な症状だ。その結果、抑うつ(憂鬱な気分で何にもする気になれない)状態に陥ったり、自暴自棄の行動を取ってしまったりすることがある。 また、他人に対して好き嫌いの思いが極端な方向に振れやすく、それまでは大好きだと思っていたはずなのに、ふとしたきっかけで憎しみを抱くほど嫌いになってしまうケースもある。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.4
今春の日曜日、大手町のあるホールで開かれた「障がい者のための就職・転職フェアSMILE」の会場に、緊張した面持ちで足を運んだKさん(20代女性、情緒不安定パーソナリティ障がい)。自身にとって三つ目となる職場を探しにきた彼女に話を聞いた 精神障がい全般、そして「情緒不安定性パーソナリティ障がい」のことを正しく理解してもらいたい(20代女性、情緒不安定パーソナリティ障がい) 障がい者のための就職・転職フェア「SMILE」の会場に緊張した面持ちで足を運んだKさん(20代女性、情緒不安定パーソナリティ障がい)は、自分にとって三つ目となる職場を探していた。 「最初に選んだのは、スーパーマーケットでレジ打ちなどを行うアルバイトの仕事でした。自宅から徒歩2分程度で近かったので、まずは働くことを経験しておこうと思ったからです。そして、次は学童クラブで子どもたちと触れ合う仕事に就いたのですが、体調を崩して入院してしまい、最終的に辞めることになりました」 体調不良の一因は、当時の交際相手との関係がギクシャクしてしまったことだという。これまでKさんは、「情緒不安定性パーソナリティ障がい」に苦しめられてきた。 つねに不安を抱えがちで、他人のささいな言動にも心が大きく揺れ動かされやすいのが主な症状だ。その結果、抑うつ(憂鬱な気分で何にもする気になれない)状態に陥ったり、自暴自棄の行動を取ってしまったりすることがある。 また、他人に対して好き嫌いの思いが極端な方向に振れやすく、それまでは大好きだと思っていたはずなのに、ふとしたきっかけで憎しみを抱くほど嫌いになってしまうケースもある。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.3
「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」は朝日新聞グループの株式会社朝日エージェンシーが主催だ。身体、精神に障がいがある求職者300人近くが訪れる首都圏最大級のフェアに来場した人たちがどのように仕事探しをしているのか、現場で声を聞いた。 精神障がい者だけの閉鎖的な職場ではなく 健常な働く仲間ともコミュニケーションを取りながら仕事に取り組みたい(40代男性、精神障がい) 精神障がいのある40代前半のCさんは、数年在職したある会社を退職して、新たな職探しを始めている。退職理由を一言で表せば「職場の人間関係」だが、パワハラのようなハラスメントではなく、「職場の人と関わることができなかったから」だ。 Cさんは当時をこう振り返る。 「ハローワークでその会社の障がい者枠での募集を知りました。事務職で主にデータ入力という仕事内容が自分に合っていたこと、会社が自宅から近かったこと、そして社員登用だということです」 Cさんは40代前半という年齢から、契約社員のような有期の仕事ではなく、定年退職年齢まで勤められる職場で働きたいという気持ちが強くあった。条件面で、それに応えてくれたのがその会社だったのだ。 出社してCさんは驚いた。「特例子会社ではなかったので、その会社の中で(健常者と一緒に)働けると思っていたのですが、実は障がい者の管理は外部の会社に任せており、私は精神障がい者を集めたチームで働くことになりました」 最初は6、7人のチームだったが、徐々に増えていき、最終的には18人ほどの人数に膨れ上がった。「人数が多いことはいいとしても、私は積極的に職場の人とコミュニケーションをとりながら仕事をしたかったのです」 朝のあいさつや休憩時間の雑談、仕事上の相談、時には隣の人と冗談を言い合ったり……それは多くの職場で見られるありふれた光景だが、Cさんの職場ではかなわなかったという。会社や管理者に禁止されたわけではない。 「私は職場の人たちとはコミュニケーションを取りながら仕事がしたかったのですが、そこにいた人たちは関わり方がちょっと特殊な人が多くて戸惑いました。話しかけても関わってくれるなという人が多かった」
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.3
「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」は朝日新聞グループの株式会社朝日エージェンシーが主催だ。身体、精神に障がいがある求職者300人近くが訪れる首都圏最大級のフェアに来場した人たちがどのように仕事探しをしているのか、現場で声を聞いた。 精神障がい者だけの閉鎖的な職場ではなく 健常な働く仲間ともコミュニケーションを取りながら仕事に取り組みたい(40代男性、精神障がい) 精神障がいのある40代前半のCさんは、数年在職したある会社を退職して、新たな職探しを始めている。退職理由を一言で表せば「職場の人間関係」だが、パワハラのようなハラスメントではなく、「職場の人と関わることができなかったから」だ。 Cさんは当時をこう振り返る。 「ハローワークでその会社の障がい者枠での募集を知りました。事務職で主にデータ入力という仕事内容が自分に合っていたこと、会社が自宅から近かったこと、そして社員登用だということです」 Cさんは40代前半という年齢から、契約社員のような有期の仕事ではなく、定年退職年齢まで勤められる職場で働きたいという気持ちが強くあった。条件面で、それに応えてくれたのがその会社だったのだ。 出社してCさんは驚いた。「特例子会社ではなかったので、その会社の中で(健常者と一緒に)働けると思っていたのですが、実は障がい者の管理は外部の会社に任せており、私は精神障がい者を集めたチームで働くことになりました」 最初は6、7人のチームだったが、徐々に増えていき、最終的には18人ほどの人数に膨れ上がった。「人数が多いことはいいとしても、私は積極的に職場の人とコミュニケーションをとりながら仕事をしたかったのです」 朝のあいさつや休憩時間の雑談、仕事上の相談、時には隣の人と冗談を言い合ったり……それは多くの職場で見られるありふれた光景だが、Cさんの職場ではかなわなかったという。会社や管理者に禁止されたわけではない。 「私は職場の人たちとはコミュニケーションを取りながら仕事がしたかったのですが、そこにいた人たちは関わり方がちょっと特殊な人が多くて戸惑いました。話しかけても関わってくれるなという人が多かった」
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.2
朝日新聞グループの株式会社朝日エージェンシーが主催する「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」。2023年春の日曜日、大手町のあるホールで開かれたこのフェアには、身体、精神に障がいがある求職者300人近くが訪れた。首都圏最大級の障がい者向け就職・転職フェアに来場した人たちの仕事探しにはどのような事情があるのか、現場で声を聞いた。 骨折の後遺症で両下肢に障がいが。職業訓練でウエブ作成の技術を学び在宅勤務可能な仕事を目指す (50代男性、両下肢に障がい) 両下肢に障がいがあり、歩行には松葉杖が必要なTさん(50代男性、両下肢の障がい)は、これまでに6つ職場を経験してきた。「職場環境の問題で健康を害することも多く、そのたびに職場を変えざるを得ませんでした」いったん体調を崩してしまうと、辞めてもすぐには就職活動ができない。健康が回復するのを待って次の職場を探す。そんなことを繰り返してきたという。 最初の職場を辞めたのは、上司のパワハラが原因だ。Tさんは精神的に追い込まれ、体調を崩してしまった。それでも職場に迷惑を掛けてはいけないと考えて、土日に病院へ行って点滴を打ちながら、平日は勤務を続けた。 しかし、徐々にうつ病の症状も出るようになり、「これ以上続けるのは難しい」と判断して辞めた。体調の回復を待って再就職したが、その職場でもストレスが重なり、うつ病の症状が再発して結局、辞めることになった。 採用時の条件と、入社してからの条件が異なったケースもあった。ビルメンテナンスの会社に就職したときのことだ。Tさんは、現場スタッフとして採用されたのだが、実際に仕事を始めてみると、急に「責任者になってくれないか」と上司に頼まれたという。 ビルメンテナンスの仕事は、資格保有者がいなければ業務を担当できないことも多い。Tさんは電気主任技術者の資格を持っていたため、責任者になって欲しいと頼まれたのだ。ビルのメンテナンスは非常に危険を伴う仕事。そんな現場で責任者になることは、大きなストレスがかかる。Tさんは過去にうつ病の経験があるから、ストレスの大きい職場は避けたかった。「断ろうと思ったのですが、誰も引き受け手がなくて困っているようだから、結局は引き受けたのですが、最初に言ってほしかったですね」 こうした経験を重ねてきたTさんだからこそ、会社を選ぶときには、給与などの待遇面はあまり重視しないという。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.2
朝日新聞グループの株式会社朝日エージェンシーが主催する「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」。2023年春の日曜日、大手町のあるホールで開かれたこのフェアには、身体、精神に障がいがある求職者300人近くが訪れた。首都圏最大級の障がい者向け就職・転職フェアに来場した人たちの仕事探しにはどのような事情があるのか、現場で声を聞いた。 骨折の後遺症で両下肢に障がいが。職業訓練でウエブ作成の技術を学び在宅勤務可能な仕事を目指す (50代男性、両下肢に障がい) 両下肢に障がいがあり、歩行には松葉杖が必要なTさん(50代男性、両下肢の障がい)は、これまでに6つ職場を経験してきた。「職場環境の問題で健康を害することも多く、そのたびに職場を変えざるを得ませんでした」いったん体調を崩してしまうと、辞めてもすぐには就職活動ができない。健康が回復するのを待って次の職場を探す。そんなことを繰り返してきたという。 最初の職場を辞めたのは、上司のパワハラが原因だ。Tさんは精神的に追い込まれ、体調を崩してしまった。それでも職場に迷惑を掛けてはいけないと考えて、土日に病院へ行って点滴を打ちながら、平日は勤務を続けた。 しかし、徐々にうつ病の症状も出るようになり、「これ以上続けるのは難しい」と判断して辞めた。体調の回復を待って再就職したが、その職場でもストレスが重なり、うつ病の症状が再発して結局、辞めることになった。 採用時の条件と、入社してからの条件が異なったケースもあった。ビルメンテナンスの会社に就職したときのことだ。Tさんは、現場スタッフとして採用されたのだが、実際に仕事を始めてみると、急に「責任者になってくれないか」と上司に頼まれたという。 ビルメンテナンスの仕事は、資格保有者がいなければ業務を担当できないことも多い。Tさんは電気主任技術者の資格を持っていたため、責任者になって欲しいと頼まれたのだ。ビルのメンテナンスは非常に危険を伴う仕事。そんな現場で責任者になることは、大きなストレスがかかる。Tさんは過去にうつ病の経験があるから、ストレスの大きい職場は避けたかった。「断ろうと思ったのですが、誰も引き受け手がなくて困っているようだから、結局は引き受けたのですが、最初に言ってほしかったですね」 こうした経験を重ねてきたTさんだからこそ、会社を選ぶときには、給与などの待遇面はあまり重視しないという。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.1
2023年3月の日曜日、大手町のあるホールで開かれた「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」には、身体、精神の障がいがある求職者300人近くが訪れた。主催するのは朝日新聞グループの株式会社朝日エージェンシー。このイベントは首都圏最大級の障がい者向け就職・転職フェアだ。来場した人たちはどのような思いで仕事探しをしているのか、現場で声を聞いた。 統合失調症はほぼ落ち着いたが、やはり対人関係は苦手なので、 適度な距離感を保ってもらいたい (20代男性、精神障がい) 学生時代から人間関係が苦手で辛い思いをしてきたというSさん(20代男性、精神障がい)は、3年程前に統合失調症を患った。 一般的に統合失調症の症状は、陽性症状(幻覚、妄想、精神的および行動的な興奮・高揚、昏迷など)、陰性症状(抑うつ、無気力、ひきこもり、倦怠感、感情の平板化など)、認知機能障害(記憶力の低下、注意力・集中力の低下判断力の低下)の3つに大別される。ただ、いずれの症状の出方には個人差があるようだ。 病気の経過は不眠に悩まされたり、音に過敏になったり、焦燥感にかられたりといった「前兆期」がしばらく続いた後、不安感や緊張感が極度に高まる「急性期」に入っていく。 この局面で心身ともに疲れ切り、眠気や倦怠感に襲われ、無気力になっていく「消耗期」が訪れる。 治療薬を飲んだり休息したりしてこの時期を抜け出せば、少しずつ元気を取り戻し、精神的にも安定してくる「回復期」に入る。Sさんはこの「回復期」を経た後、社会に出て働きたいと考えるようになった。 「病気だったこともあって、本格的に働いた経験はありません。ほぼ落ち着いてきてからはパン屋さんでアルバイトとして、接客業務などを任されていました。 でも、新型コロナウイルス感染症が流行すると、接客業は感染リスクが高いから心配だと親が言い出し、僕はまだ続けたかったのですが、結局は辞めざるをえない状況になってしまいました」
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.1
2023年3月の日曜日、大手町のあるホールで開かれた「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」には、身体、精神の障がいがある求職者300人近くが訪れた。主催するのは朝日新聞グループの株式会社朝日エージェンシー。このイベントは首都圏最大級の障がい者向け就職・転職フェアだ。来場した人たちはどのような思いで仕事探しをしているのか、現場で声を聞いた。 統合失調症はほぼ落ち着いたが、やはり対人関係は苦手なので、 適度な距離感を保ってもらいたい (20代男性、精神障がい) 学生時代から人間関係が苦手で辛い思いをしてきたというSさん(20代男性、精神障がい)は、3年程前に統合失調症を患った。 一般的に統合失調症の症状は、陽性症状(幻覚、妄想、精神的および行動的な興奮・高揚、昏迷など)、陰性症状(抑うつ、無気力、ひきこもり、倦怠感、感情の平板化など)、認知機能障害(記憶力の低下、注意力・集中力の低下判断力の低下)の3つに大別される。ただ、いずれの症状の出方には個人差があるようだ。 病気の経過は不眠に悩まされたり、音に過敏になったり、焦燥感にかられたりといった「前兆期」がしばらく続いた後、不安感や緊張感が極度に高まる「急性期」に入っていく。 この局面で心身ともに疲れ切り、眠気や倦怠感に襲われ、無気力になっていく「消耗期」が訪れる。 治療薬を飲んだり休息したりしてこの時期を抜け出せば、少しずつ元気を取り戻し、精神的にも安定してくる「回復期」に入る。Sさんはこの「回復期」を経た後、社会に出て働きたいと考えるようになった。 「病気だったこともあって、本格的に働いた経験はありません。ほぼ落ち着いてきてからはパン屋さんでアルバイトとして、接客業務などを任されていました。 でも、新型コロナウイルス感染症が流行すると、接客業は感染リスクが高いから心配だと親が言い出し、僕はまだ続けたかったのですが、結局は辞めざるをえない状況になってしまいました」