私の仕事探し
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.12
今春、大手町で開催された「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」。三つの職場を経て、Nさん(50代男性・精神障がい)は収入より、長く働き続けられることを重視して職場を探すと決意している。 自分の経験を生かすため、精神保健福祉士(PSW)の資格を取るも違和感を覚え離職。 今度こそ長く働き続ける職場を見つけたい Nさん(50代男性、精神障がい) 心は実像を伴わないものであるだけに、周囲の人たちの間で偏見や誤解、差別が生まれがちだ。Nさん(50代男性、精神障がい)も体調を崩して精神の病気(統合失調症)を患った際に、いろいろと苦しい思いをしたという。 「精神の病気は、患ったことがない人たちにはなかなか理解してもらいにくいものです。そこで、自分の経験を生かせる仕事に就きたいと思い、国家資格の精神保健福祉士(PSW)を取得しました」 PSWは1997年に国家資格として定められた仕事で、ソーシャルワーカー(SW)の一種ではあるが、医療・福祉・保健といった広範な領域を活躍の舞台とする。そして、うつ病や統合失調症、認知症などといった精神障がいがある人を対象に、日常生活や社会復帰のサポートを行うのがその役割だ。 「PSWの資格を生かし、障がい者支援関連の会社(2社)で約4年間にわたって働いてきました。しかし、2社とも自分には合っていないと感じ、次はまったく畑違いの仕事に就きました」 自分とよく似た悩みや不安を抱える人たちをサポートすること自体にはやりがいと感じたものの、2社とも民間の株式会社の組織形態であったため、利潤を追求せざるをえなかったことに違和感を抱き続けたという。 「より多くの障がい者を支援することに力を入れること自体は正しいと思うのですが、民間企業である以上、どうしても営業的な目標値が掲げられます。すると、目標達成のために障がい者を数で数えるような結果となってしまうので、その点に抵抗を感じ続け、職場を離れることになりました」
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.12
今春、大手町で開催された「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」。三つの職場を経て、Nさん(50代男性・精神障がい)は収入より、長く働き続けられることを重視して職場を探すと決意している。 自分の経験を生かすため、精神保健福祉士(PSW)の資格を取るも違和感を覚え離職。 今度こそ長く働き続ける職場を見つけたい Nさん(50代男性、精神障がい) 心は実像を伴わないものであるだけに、周囲の人たちの間で偏見や誤解、差別が生まれがちだ。Nさん(50代男性、精神障がい)も体調を崩して精神の病気(統合失調症)を患った際に、いろいろと苦しい思いをしたという。 「精神の病気は、患ったことがない人たちにはなかなか理解してもらいにくいものです。そこで、自分の経験を生かせる仕事に就きたいと思い、国家資格の精神保健福祉士(PSW)を取得しました」 PSWは1997年に国家資格として定められた仕事で、ソーシャルワーカー(SW)の一種ではあるが、医療・福祉・保健といった広範な領域を活躍の舞台とする。そして、うつ病や統合失調症、認知症などといった精神障がいがある人を対象に、日常生活や社会復帰のサポートを行うのがその役割だ。 「PSWの資格を生かし、障がい者支援関連の会社(2社)で約4年間にわたって働いてきました。しかし、2社とも自分には合っていないと感じ、次はまったく畑違いの仕事に就きました」 自分とよく似た悩みや不安を抱える人たちをサポートすること自体にはやりがいと感じたものの、2社とも民間の株式会社の組織形態であったため、利潤を追求せざるをえなかったことに違和感を抱き続けたという。 「より多くの障がい者を支援することに力を入れること自体は正しいと思うのですが、民間企業である以上、どうしても営業的な目標値が掲げられます。すると、目標達成のために障がい者を数で数えるような結果となってしまうので、その点に抵抗を感じ続け、職場を離れることになりました」
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.11
今春、大手町で開催された「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」。やりがいやスキルアップを目指すNさん(20代男性、精神障がい)、Mさん(30代女性、精神障がい)はどのような転職先を求めているのだろうか。 単調な仕事に将来性を見出せずやりがいやスキルアップを目指して転職活動をスタート Nさん(20代男性、精神障がい) Mさん(30代女性、精神障がい) Nさん(20代男性、精神障がい)は、さらなるやりがいを求めて、転職活動のために「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」(以下、「SMILE」)に参加した。精神障害の3級の認定を受けたのは18歳のとき。症状は安定しているが、ときには体調が悪くなることもあり、薬の服用は続けている。 「いまの勤務先は、体調が悪いときには休むこともできますので働きやすいのですが、働きがいが感じられないため、転職をしようと考えています」 Nさんは地方の国立大学を卒業後、上下水道のシステムを管理する会社に新卒で就職した。数多くある企業の中から、現在の会社を選んだポイントは大企業であったこと。また、仕事の内容が人の生活に欠かせないインフラである上下水道を対象としていることから、社会的に重要な仕事であると考えたからだ。 Nさんは現在、技術職として働いている。意義のある仕事ではあるが、担当業務は「同じ作業の繰り返しで発展性がない」という。 浄水場や下水処理場はコンピューターで制御されているが、システムがエラーを起こし止まってしまえば大変なことになる。とくに浄水場が止まってしまうと水が腐敗してしまい、復旧には相当な手間と時間がかかってしまう。それを防ぐために、システムメンテナンスをするのがNさんの仕事だ。 問題は、新しいシステムの導入が難しいことだ。例えば、ウィンドウズのバージョンアップがあっても、システムを止めて更新することができないため、従来のシステムを改造しながら使い続けていくしかないという。 最近は市町村の合併によって、上下水道のシステムの統合が必要になることも多いという。新たなシステムを導入することは難しいため、従来のシステムを改造しながら使い続けていくしかない。 「結果的に新しいことへの挑戦がしにくい職場なので、転職を考えました」という。 公共事業であるため、給与が上がりにくい面もある。水道料金が高額になると、負担が難しい世帯も出てしまう。よってシステム会社に支払う費用も「できるだけ抑えたい」との気持ちが働き、最終的にはNさんのように受託会社で働く社員の給与も抑えられてしまう。 「その上、できるだけすみやかに作業を終わらせることを求められるので、しんどいですね」
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.11
今春、大手町で開催された「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」。やりがいやスキルアップを目指すNさん(20代男性、精神障がい)、Mさん(30代女性、精神障がい)はどのような転職先を求めているのだろうか。 単調な仕事に将来性を見出せずやりがいやスキルアップを目指して転職活動をスタート Nさん(20代男性、精神障がい) Mさん(30代女性、精神障がい) Nさん(20代男性、精神障がい)は、さらなるやりがいを求めて、転職活動のために「障がい者のための就職・転職フェア SMILE」(以下、「SMILE」)に参加した。精神障害の3級の認定を受けたのは18歳のとき。症状は安定しているが、ときには体調が悪くなることもあり、薬の服用は続けている。 「いまの勤務先は、体調が悪いときには休むこともできますので働きやすいのですが、働きがいが感じられないため、転職をしようと考えています」 Nさんは地方の国立大学を卒業後、上下水道のシステムを管理する会社に新卒で就職した。数多くある企業の中から、現在の会社を選んだポイントは大企業であったこと。また、仕事の内容が人の生活に欠かせないインフラである上下水道を対象としていることから、社会的に重要な仕事であると考えたからだ。 Nさんは現在、技術職として働いている。意義のある仕事ではあるが、担当業務は「同じ作業の繰り返しで発展性がない」という。 浄水場や下水処理場はコンピューターで制御されているが、システムがエラーを起こし止まってしまえば大変なことになる。とくに浄水場が止まってしまうと水が腐敗してしまい、復旧には相当な手間と時間がかかってしまう。それを防ぐために、システムメンテナンスをするのがNさんの仕事だ。 問題は、新しいシステムの導入が難しいことだ。例えば、ウィンドウズのバージョンアップがあっても、システムを止めて更新することができないため、従来のシステムを改造しながら使い続けていくしかないという。 最近は市町村の合併によって、上下水道のシステムの統合が必要になることも多いという。新たなシステムを導入することは難しいため、従来のシステムを改造しながら使い続けていくしかない。 「結果的に新しいことへの挑戦がしにくい職場なので、転職を考えました」という。 公共事業であるため、給与が上がりにくい面もある。水道料金が高額になると、負担が難しい世帯も出てしまう。よってシステム会社に支払う費用も「できるだけ抑えたい」との気持ちが働き、最終的にはNさんのように受託会社で働く社員の給与も抑えられてしまう。 「その上、できるだけすみやかに作業を終わらせることを求められるので、しんどいですね」
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.10
今春、大手町で開催された「障がい者のための就職・転職フェアSMILE」。訪れたDさん(20代男性、双極性障がい)は、起業して教育系の会社をつくることを目指していると話す。 起業の目標を持って教育系の会社で働きたいが、 障がい者対象の求人はほとんどない Dさん(20代男性 双極性障がい) 気分が高まったり落ち込んだり、躁状態とうつ状態を繰り返す双極性障がい(躁鬱病)により、就労移行支援を受けて通所しているというDさんには、正社員として働いた職歴がない。 躁鬱病を発症して大学を中退、フリーターとして時間給で働いていたところ、病状が悪化し、「24歳から26歳までの2年間は病院の入退院を繰り返し、まったく仕事ができない状態が続いた」という。 ようやく病状が安定したところで、インターネット経由の小売企業で派遣スタッフの仕事に就いた。出荷指示に従って商品を集めるピッキングが主な作業だ。 「難しい作業ではないのですが、自分には合っていないと感じました。それに体力的につらかったことで限界を感じ半年ほどで辞めました」 実はDさんには目標がある。 「それは起業して教育系の会社をつくることです。その目標を達成するため、身分は正社員でも契約社員でも構わないのですが、大手の教育系の会社で2、3年働いてノウハウを吸収したいと考えています」 Dさんによれば、教育系の会社は障がい者向けの就職フェアには出展していないことが多く、就職が難しいという。そこで学習塾講師から始める道も考えている。学習塾の募集もほとんど見かけないと言うが、自宅近くの有名学習塾での募集があったので、「クローズ(障がいを開示しない)で応募しようかなとも思います」。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.10
今春、大手町で開催された「障がい者のための就職・転職フェアSMILE」。訪れたDさん(20代男性、双極性障がい)は、起業して教育系の会社をつくることを目指していると話す。 起業の目標を持って教育系の会社で働きたいが、 障がい者対象の求人はほとんどない Dさん(20代男性 双極性障がい) 気分が高まったり落ち込んだり、躁状態とうつ状態を繰り返す双極性障がい(躁鬱病)により、就労移行支援を受けて通所しているというDさんには、正社員として働いた職歴がない。 躁鬱病を発症して大学を中退、フリーターとして時間給で働いていたところ、病状が悪化し、「24歳から26歳までの2年間は病院の入退院を繰り返し、まったく仕事ができない状態が続いた」という。 ようやく病状が安定したところで、インターネット経由の小売企業で派遣スタッフの仕事に就いた。出荷指示に従って商品を集めるピッキングが主な作業だ。 「難しい作業ではないのですが、自分には合っていないと感じました。それに体力的につらかったことで限界を感じ半年ほどで辞めました」 実はDさんには目標がある。 「それは起業して教育系の会社をつくることです。その目標を達成するため、身分は正社員でも契約社員でも構わないのですが、大手の教育系の会社で2、3年働いてノウハウを吸収したいと考えています」 Dさんによれば、教育系の会社は障がい者向けの就職フェアには出展していないことが多く、就職が難しいという。そこで学習塾講師から始める道も考えている。学習塾の募集もほとんど見かけないと言うが、自宅近くの有名学習塾での募集があったので、「クローズ(障がいを開示しない)で応募しようかなとも思います」。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.9
今春、大手町で開催された「障がい者のための就職・転職フェアSMILE」。訪れたMさん(30代男性、発達障がい)は、参加している企業は、障がいに対する理解が深く、制度も配慮も行き届いているという感触を得た。 中古車業界にクローズ就労したものの周囲の理解が得られず短期間で離職。次はオープン就労で長く働きたい(30代男性、発達障がい) Mさんは20代で測量設計会社に入社し2年ほど働き、健康器具メーカー、自動車解体・部品販売会社などを経て、30歳で中古車販売店に就職した。 この会社を選んだのは、そろそろ転職が難しくなる年齢を迎えたことを期に、「得意」や「好き」を生かす仕事に就いて長く働きたいと考えたからだ。Mさんの「得意」や「好き」に当てはまるのは自動車。 「その会社は私が乗っている外車を主に扱う中古車販売店でした。自ら営業を志望し、クローズで就労していました」 クローズ就労というのは会社に障がいを伝えず、いわゆる一般採用枠に応募して就労すること。業界や職種を選びやすく、賃金も障がい者雇用枠に比べ高い傾向にある。その代わり、上司や同僚は障がいを知らないのだから障がいに起因するミスを犯しても配慮をされないし、ミスが度重なれば仕事ができない人材と見なされてリカバリーも期待できなくなることもある。 Mさんのケースは、後者のデメリットが表に出てしまった。どんなに注意深く行動をしても発達障がいによるミスを防ぐことができず、上司からたびたび𠮟責(しっせき)された。最初はサポートしてくれた同僚からも突き放された。しまいには「あなたはもういらないよ」というハラスメントに抵触する言葉を投げかけられることもあった。 「発達障がいをカバーして働くことは難しいと感じました。でも、ここまでこじれた状況で発達障がいを打ち明けても、この会社ではただの言い訳と受け取られてしまう」 そう結論したMさんは、10カ月間勤めた中古車販売店に辞表を提出した。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.9
今春、大手町で開催された「障がい者のための就職・転職フェアSMILE」。訪れたMさん(30代男性、発達障がい)は、参加している企業は、障がいに対する理解が深く、制度も配慮も行き届いているという感触を得た。 中古車業界にクローズ就労したものの周囲の理解が得られず短期間で離職。次はオープン就労で長く働きたい(30代男性、発達障がい) Mさんは20代で測量設計会社に入社し2年ほど働き、健康器具メーカー、自動車解体・部品販売会社などを経て、30歳で中古車販売店に就職した。 この会社を選んだのは、そろそろ転職が難しくなる年齢を迎えたことを期に、「得意」や「好き」を生かす仕事に就いて長く働きたいと考えたからだ。Mさんの「得意」や「好き」に当てはまるのは自動車。 「その会社は私が乗っている外車を主に扱う中古車販売店でした。自ら営業を志望し、クローズで就労していました」 クローズ就労というのは会社に障がいを伝えず、いわゆる一般採用枠に応募して就労すること。業界や職種を選びやすく、賃金も障がい者雇用枠に比べ高い傾向にある。その代わり、上司や同僚は障がいを知らないのだから障がいに起因するミスを犯しても配慮をされないし、ミスが度重なれば仕事ができない人材と見なされてリカバリーも期待できなくなることもある。 Mさんのケースは、後者のデメリットが表に出てしまった。どんなに注意深く行動をしても発達障がいによるミスを防ぐことができず、上司からたびたび𠮟責(しっせき)された。最初はサポートしてくれた同僚からも突き放された。しまいには「あなたはもういらないよ」というハラスメントに抵触する言葉を投げかけられることもあった。 「発達障がいをカバーして働くことは難しいと感じました。でも、ここまでこじれた状況で発達障がいを打ち明けても、この会社ではただの言い訳と受け取られてしまう」 そう結論したMさんは、10カ月間勤めた中古車販売店に辞表を提出した。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.8
「障がい者のための就職・転職フェアSMILE」がこの春、大手町の会場で開催された。発達障がいと診断されたNさん(20代男性・発達障がい)、Sさん(30代女性・発達障がい)は診断されたことで自分の特徴を理解し、自分に合った仕事探しを始めた。 自分でも気づきにくい「発達障がい」。医師の診断をきっかけに長く安心して働ける職場探しを探したい(20代男性・発達障がい) 飲食業やサービス業で働いてきたNさん(20代男性・発達障害)は、1年ほど前に発達障がいと診断された。それまでNさんは、複数の仕事を次々と処理していくマルチタスクが苦手で「同僚にはできることが、自分にはなぜできないのだろう」と悩んでいた。 発達障がいと診断されたことはショックではあったが、仕事で悩んでいたことの原因が分かり、「スッキリ」した面もあったという。 これまでNさんが働いてきた飲食業やサービス業では、接客を担当することが多かったため、臨機応変な対応が必要だ。新たに処理しなければいけないことが次々と発生するため、マルチタスク能力が重要となる。 しかし発達障がいのある人は、複数の指示を同時に受けると、前に受けた指示を忘れてしまうこともあり、ミスが起きやすくなってしまう。 Nさんも同じで、仕事中に上司から別の指示を受けると、忘れてしまい「なぜ頼んだ仕事をしていないんだ」と叱責されることも多かった。あるいは、使った道具を片付けずに放置してしまい、同僚に迷惑をかけることも多かった。 そのため、一つの職場で長く勤めることができず、職場を転々としてきた。 「叱られるのもつらかったのですが、みんなにはできていることが自分にはできなくて、周囲に迷惑をかけていると思うと、申し訳ない気持ちがいっぱいでしたね」(Nさん) そんな中で医師から発達障がいとの診断を受けて、「飲食業やサービス業は向いていなかったのだ」と理解できた。これまでの仕事は自宅が近いなどの理由でたまたま選んだだけだったので、飲食業やサービス業にこだわりがあったわけではない。 「他の仕事であれば、『自分の能力を生かせるかもしれない』と考えたら希望を持つことができました」(Nさん) Nさん自身も発達障がいにどんな仕事が向くのかを見極めたいとの思いもあったので、就労移行支援事業所へ通うことにした。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.8
「障がい者のための就職・転職フェアSMILE」がこの春、大手町の会場で開催された。発達障がいと診断されたNさん(20代男性・発達障がい)、Sさん(30代女性・発達障がい)は診断されたことで自分の特徴を理解し、自分に合った仕事探しを始めた。 自分でも気づきにくい「発達障がい」。医師の診断をきっかけに長く安心して働ける職場探しを探したい(20代男性・発達障がい) 飲食業やサービス業で働いてきたNさん(20代男性・発達障害)は、1年ほど前に発達障がいと診断された。それまでNさんは、複数の仕事を次々と処理していくマルチタスクが苦手で「同僚にはできることが、自分にはなぜできないのだろう」と悩んでいた。 発達障がいと診断されたことはショックではあったが、仕事で悩んでいたことの原因が分かり、「スッキリ」した面もあったという。 これまでNさんが働いてきた飲食業やサービス業では、接客を担当することが多かったため、臨機応変な対応が必要だ。新たに処理しなければいけないことが次々と発生するため、マルチタスク能力が重要となる。 しかし発達障がいのある人は、複数の指示を同時に受けると、前に受けた指示を忘れてしまうこともあり、ミスが起きやすくなってしまう。 Nさんも同じで、仕事中に上司から別の指示を受けると、忘れてしまい「なぜ頼んだ仕事をしていないんだ」と叱責されることも多かった。あるいは、使った道具を片付けずに放置してしまい、同僚に迷惑をかけることも多かった。 そのため、一つの職場で長く勤めることができず、職場を転々としてきた。 「叱られるのもつらかったのですが、みんなにはできていることが自分にはできなくて、周囲に迷惑をかけていると思うと、申し訳ない気持ちがいっぱいでしたね」(Nさん) そんな中で医師から発達障がいとの診断を受けて、「飲食業やサービス業は向いていなかったのだ」と理解できた。これまでの仕事は自宅が近いなどの理由でたまたま選んだだけだったので、飲食業やサービス業にこだわりがあったわけではない。 「他の仕事であれば、『自分の能力を生かせるかもしれない』と考えたら希望を持つことができました」(Nさん) Nさん自身も発達障がいにどんな仕事が向くのかを見極めたいとの思いもあったので、就労移行支援事業所へ通うことにした。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.7
今春、大手町のあるホールで開かれた「障がい者のための就職・転職フェアSMILE」の会場を訪れたEさん(30代男性、精神障がい・身体障がい)。苦難を乗り越え、就労移行支援事業所でプログラミングについて学び、前向きに就職を考えるEさんに話を聞いた。 自閉スペクトラム症に加えて、交通事故が原因で脳髄液減少症に。苦難を乗り越え、プログラミングの仕事に挑戦する(30代男性、精神障がい・身体障がい) 精神障がいと身体障がいという二つのハンデキャップのみならず、障害者手帳の発行でも苦労し、さらにコロナ禍に見舞われてしまうという苦難の連続のEさん(30代男性、精神障がい・身体障がい)。だがそれでもくじけず、就労移行支援事業所でプログラミングについて学んだ。就職先についても、そのスキルを生かせるところを選びたいと考えているが、不安も隠せないという。 もともとEさんは、他人とのコミュニケーションが苦手で、特定の物事に強いこだわりを持つという特徴のある自閉スペクトラム症と診断されていた。そのうえ、不幸にも肉体的な障がいまで負うことになった。 高校3年生の夏休みに交通事故に遭って、その後遺症に苦しめられ続けていた。リハビリで少しは回復したものの、依然として身体面の不調は続く。 担当の医師にその旨を訴えても、原因はよくわからないと言われた。不調から開放されない限り、働くこともままならない。 Eさんは苦悶する日々を送っていたが、たまたま目にした新聞記事で、一般的にはほとんど知られていない病気に苦しむ人のことが紹介されていた。 「ちょうど20歳になるころでした。症状などがあまりにも似ていたので、その専門医に診察してもらいました」 彼の読みは的中し、自分が患っているのは脳髄液減少症だということがついに判明した。もっとも、この疾患は症例が少ないうえに、症状が見られた初期段階から的確な治療を行わないと、完治が難しいという。それから治療を始めたものの、Eさんは30歳になるころまで寝たきりの状態が続いた。
障がい者が話す「私の仕事探し」VOL.7
今春、大手町のあるホールで開かれた「障がい者のための就職・転職フェアSMILE」の会場を訪れたEさん(30代男性、精神障がい・身体障がい)。苦難を乗り越え、就労移行支援事業所でプログラミングについて学び、前向きに就職を考えるEさんに話を聞いた。 自閉スペクトラム症に加えて、交通事故が原因で脳髄液減少症に。苦難を乗り越え、プログラミングの仕事に挑戦する(30代男性、精神障がい・身体障がい) 精神障がいと身体障がいという二つのハンデキャップのみならず、障害者手帳の発行でも苦労し、さらにコロナ禍に見舞われてしまうという苦難の連続のEさん(30代男性、精神障がい・身体障がい)。だがそれでもくじけず、就労移行支援事業所でプログラミングについて学んだ。就職先についても、そのスキルを生かせるところを選びたいと考えているが、不安も隠せないという。 もともとEさんは、他人とのコミュニケーションが苦手で、特定の物事に強いこだわりを持つという特徴のある自閉スペクトラム症と診断されていた。そのうえ、不幸にも肉体的な障がいまで負うことになった。 高校3年生の夏休みに交通事故に遭って、その後遺症に苦しめられ続けていた。リハビリで少しは回復したものの、依然として身体面の不調は続く。 担当の医師にその旨を訴えても、原因はよくわからないと言われた。不調から開放されない限り、働くこともままならない。 Eさんは苦悶する日々を送っていたが、たまたま目にした新聞記事で、一般的にはほとんど知られていない病気に苦しむ人のことが紹介されていた。 「ちょうど20歳になるころでした。症状などがあまりにも似ていたので、その専門医に診察してもらいました」 彼の読みは的中し、自分が患っているのは脳髄液減少症だということがついに判明した。もっとも、この疾患は症例が少ないうえに、症状が見られた初期段階から的確な治療を行わないと、完治が難しいという。それから治療を始めたものの、Eさんは30歳になるころまで寝たきりの状態が続いた。